仏教悩み相談室


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聖語録




信はわが蒔く種子である。
智慧はわが耕す鍬なり。
身口意の悪業を制するは、わが田における除草である。
精進はわがひく牛にして、行(ゆ)いて帰ることなく、
おこないて悲しむことなく、
われを安らけき心にはこぶ。

―― 相応部経典・雑阿含経より




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聖語録



「大徳よ、よく悪魔、悪魔とおっしゃられますが、いったい、悪魔とは、なんでありましょうか。」

「ラーダよ、悪魔というのはこうである。われらの肉体は、われらを妨げ、かきみだし、不安におとしいれる。これが悪魔である。さらに、われらの感情、意志、判断が、われらを妨げ、かきみだし、不安におとしいれる。これが悪魔である。そして、そのようにみることができれば、それが正観すなわち正しい観察というものである。」

「では、大徳よ、正観して、どうしようというのですか。」

「ラーダよ、正観することをうれば、厭離すなわち厭いのおもいを生ずる。」

「では大徳よ、厭離してどうしようとするのですか。」

「ラーダよ、厭離することをうれば、離欲すなわち欲望のはげしいいとなみを克服することができる。」

「では、大徳よ、離欲によってなんとしようとするのですか。」

「ラーダよ、離欲によって解脱することができるのだ。」

「では、大徳よ、解脱して、どうしようというのですか。」

「ラーダよ、解脱すれば、涅槃にいたることができる。」


―― 相応部経典・雑阿含経より



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聖語録



「仏道を学ぶ人は自分のために仏法を学んではならない。ただ仏法のために仏法を学ぶべきである。その秘訣は、自分の身も心も一物ものこさず捨て去って、それを仏法の大海の中にさし向けるべきである。
その後は、一切の是非にかかわることなく、自分の心をもつことなく、
できないことでも、仏法に使われて無理にもこれをやり、自分としてはやりたいと思うことでも、仏法の道理にてらして、してはならないことならばすて去るべきである。決して決して、仏道修行の功によって、代わりによい果報を得ようと思ってはならない。ただひとたび仏道にすべてをさし向けた上は、二度と自分をかえりみることなく、仏法のきまりどおりに行じていって、自分だけの考えをもってはならない。むかしからの実例はすべてこの通りである。心に願い求めることがなければ、とりもなおさず大安楽である。」
―― 正法眼蔵随聞記  水野弥穂子訳



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聖語録



衆生本来仏なり    水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく   衆生の外(ほか)に仏なし
衆生近きを知らずして   遠く求むるはかなさよ
たとえば水の中に居て   渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて   貧里(ひんり)に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は     己が愚痴の闇路なり
闇路にやみじを踏みそえて   いつか生死をはなるべき
・・・・・・・・・(中略)・・・・・・・・・・・
いわんや自ら回向して   直(じき)に自性を証すれば
自性すなわち無性(むしょう)にて すでに虚論(けろん)を離れたり
因果一如の門ひらけ    無二無三の道直し(みちなおし)
無相の相を相として    行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として    歌うも舞うも法(のり)の声
三昧無礙の空ひろく    四智円明の月さえん
この時何をか求むべき   寂滅現前するゆえに
当処すなわち蓮華国    この身すなわち仏なり
 ――白隠禅師――



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聖語録



過去を追うことなかれ。未来を追うことなかれ

過去はすでに過ぎ去れり。未来はいまだ来ざりき

ゆえに、ただ今なすべきことを、そのところにおいてよく観察し

揺らぐことなく、動ずることなく、よく見極めて実践せよ

ただ今日なすべきことを、よくなせ

誰か明日の死あることを知らん


 ――賢愚経



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聖語録



落ち着いて思慮ある人々は、

身をつつしみ、言葉をつつしみ、心をつつしむ。

かれらはあらゆることに慎んでいる。

かれらは不死の境地におもむく。

そこに達したならば、悩むことがない。

 ――出曜経



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聖語録



心が煩悩に汚されることなく

おもいが乱れることなく 

  善悪のはからいを捨てて

目覚めている人には

何も恐れることが無い

 ――法句経



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聖語録



信は道の元であり、功徳の母である。一切のもろもろの善法を長養し、疑いの網を断って、まよいを出、涅槃のさとりを開かせる。

信は濁りの心なく、清浄にして驕慢を滅し、敬いのもととなる。

また法の蔵の第一の宝である。清浄の手となって、もろもろの修行を受けとり、施しの心をおこさせ、もの惜みをなくす。

信は歓喜して仏法に入らせ、智慧と功徳を増長し、必ず如来地に至らせる。

信は六根を浄化し明らかにする。信の力は堅固であり、それを壊すことのできるものはない。

信は永く煩悩のもとを滅ぼし、もっぱら仏の功徳に向わせる。

信はこだわりの心をなくし、自由な境界を得させ、もろもろの苦難を遠ざけて、無難を得させる。

信はかずかずの魔を超えて、無上のさとりを得させる。

信は功徳の種を壊さず、菩提の樹を成長させる。

信は最勝の智慧を増益し、一切の仏を示現させる。

 ――華厳経   



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聖語録



国宝とはなにものぞ。宝とは道心なり。道心ある人を名付けて国宝という。故に古人曰く、径寸十枚(直径一寸の金貨十枚)これ国宝にあらず、一隅を照らす、これすなわち国宝なり


悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり


解脱の味は独り飲まず、安楽の果は独り証せず


 ――伝教大師   



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10

聖語録



生を明らめ死を明らむるは佛家一大事の因縁なり、生死の中に佛あれば生死なし、ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべきもなく、涅槃としてねがうべきもなし、この時初めて生死を離るるぶんあり、ただ一大事因縁と究盡すべし、人身得ること難し、仏法値(お)うこと希なり、今我等宿善の助くるに依りてすでに受け難き人身を受けたるのみに非ず遇い難き仏法に値(あ)い奉れり、生死の中の善生、最勝の生なるべし、最勝の善身を徒にして露命を無常の風に任すること勿れ。
無常たのみ難し、知らず露命いかなる道の草にか落ちん、身すでに私に非ず、命は光陰に移されて暫くもとどめ難し、紅顔いずくえか去りにし、尋ねんと跡(しょうせき)なし、熟(つらつら)観ずる所に往事の再び逢うべからざる多し、無常忽ちに到るときは国王大臣親暱従僕妻子珍寶たすくる無し、唯獨り黄泉に趣くのみなり、己に随い行くは只是れ善悪業等のみなり、今の世に因果を知らず業報を明らめず、三世を知らず、善悪をわきまえざる邪見のともがらには群すべからず、おおよそ因果の道理歴然として私なし、造悪の者は堕ち、修善の者は陞(のぼ)る、豪釐(ごうり)もたがわざるなり、もし因果亡じて虚しからんが如きは、諸仏の出世あるべからず、祖師の西来あるべからず。
善悪の報に三時あり。一つには順現報受、二つには順次生受、三つには順後次受これを三時という、佛祖の道を修習するには、その最初よりこの三時の業報の理を効(なら)いあきらむるなり、しかあらざれば多くあやまりて邪見に堕つるなり、ただ邪見に堕つるのみに非ず悪道に堕ちて長時の苦を受く。まさに知るべし今生の我身二つ無し三つ無し、徒に邪見に堕ちて虚しく悪業を感得せん惜しからざらめや、悪を造りながら悪に非ずと思い、悪の報あるべからずと邪思惟するに依りて悪の報を感得せざるには非ず。

 ――修證義 第一章總序   



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11

聖語録



「ドータカよ。わたしは世間におけるいかなる疑惑者をも解脱させ得ないであろう。ただそなたが最上の真理を知るならばそれによって、そなたはこの煩悩の激流を渡るであろう。」
「バラモンさま。慈悲を垂れて、(この世の苦悩から)遠ざかり離れる理法を教えてください。わたくしはそれを認識したいのです。わたくしは、虚空のように、乱され濁ることなしに、この世において静まり、依りすがることなく行いましょう。」
師は言われた、
「ドータカよ。伝承によるのではない、まのあたり体得されるこの安らぎを、そなたに説き明かすであろう。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執着を乗り超えよ。」
「偉大な仙人さま。わたくしはその最上の安らぎを受けて歓喜します。それを知ってよく気をつけて行い、世の中の執著を乗り超えましょう。」
師は答えた、
「ドータカよ。上と下と横と中央とにおいてそなたが気づいてよく知っているものは何であろうと、それは世の中における執著の対象であると知って、移りかわる生存への妄執をいだいてはならない」と。
 ――ブッタのことば(中村元訳)より   
 

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12

聖語録



参学もまたかくの如し。初め汝が得る所、即ち是れ人々本具の性、唯有一乗の法華の真の面目なり。我が所得も亦、人々本具の性、唯有一乗の法華の真の面目なり。此れを見性といふ。
是の性、初め見道より終り種智成就に到るまで、豪りんも変遷なし。

<訳>
参禅学道もこのようなものです。最初よりあなたが得るところは人々の本具の性(もともと具わっている仏の性質)である唯有仏乗(もとよりただ仏の乗り物しかないという意味)の法華の真の面目です。私が得るところもまた人々の本具の性である唯有仏乗の法華の真の面目です。これを見性といいます。
この性(法華の真の面目)は、初めの見道位(四諦を修めた位)より、最終の一切種智(成仏)に到るまで微塵も変わることがありません。


 ――白隠禅師 遠羅天釜 巻之下より   




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13

聖語録



仏道を学ぶには、必ず自分というものをはなれなくてはいけない。
よしんば千万の経論を学び得ても、自分に対する執着がとれなければ、しまいには悪魔の世界に落ちてしまう。


 ――正法眼蔵随聞記  水野弥穂子訳  




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14

聖語録



世間の人はたいてい、もともと、人から立派だと言われよう、思われようと思っている。その心があるから、立派になることができないのである。

 ――正法眼蔵随聞記  水野弥穂子訳  




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15

聖語録



世の中にはひとつとしてわがものというものはなし。
すべてただ因縁によって、われに集まりたるものにすぎず、ただ預かるのみ

  ――『法句譬喩経』



他人を敬い、自らへりくだるはよく、足るを知って、恩をおもうはよく、時ありて教えを聞くはよい。これが人間の最上の幸福である。

――『小部経典、経集』

  



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16

聖語録



悪語と雑言をならべたて、愚かなる者は勝てリという。

されど、まことの勝利は、よく堪忍を知る者のものである。

怒れる者にいかり返すは、悪しきことと知らねばならぬ。

怒れる者にいかり返さぬ者は、二つの勝利を得るのである。

他人の怒れるを知りて、正念におのれを鎮める者は、

よくおのれに勝つとともに、また他人に勝てるのである。


  ――『雑阿含経』





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17
聖語録

仏を探す
いったい仏の源はどこか。自己に舞いもどってみたらここに仏があったというわけで、それが円頓の教えである。だから『法華経』には、円頓の教えを蓮華にたとえている。蓮華は、花が散ってから実になるのではなくて、実がさきに中に入っている。だから一つの蓮華は因と果とをそなえている。どこが因で、どこが果というのではない。凡夫の中にチャンと仏の内容がそなわっている。つまみ食いする餓鬼の内容にチャンと仏がそなわっているのである。




 ―――― 澤木興道全集 第一巻




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18
聖語録


昨今は在家・出家の人に限らず、たいていは、善い行いをしては何とか人に知られようと思い、悪い行いをしては、何とか人に知られないようにと思う。
これによって心の内と外が不一致を起してしまう。
どうか心して、心の内・外を一致させ、誤りがあれば悔い改め、真実の徳はかくして、うわべを飾らず、善いことは他人に譲り、悪いことは自分に向える意気込みをもつべきである。




 ―――― 正法眼蔵随聞記




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19
聖語録


この経はよく一切衆生を救うものなり。
この経はよく一切衆生をして諸々の苦悩を離れしめたまう。
この経はよく大いに、一切衆生を饒益して其の願いを充満せしめたまう。清涼の池のよく諸々の渇望のものに満るが如く、寒きものの火を得たるが如く、裸なるものの衣を得たるが如く、商人の主を得たるが如く、子の母を得たるが如く、渡りに船を得たるがごとく、病に醫を得たるが如く、暗きに燈を得たるがごとく、貧しきに寶を得たるが如く・・・・・(略)
この法華経も亦また是の如し、よく衆生をして一切の苦しみ、一切の病痛を離れて一切生死の縛を解かしめたまう。




 ―――― 法華経 薬王品




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